気まぐれ日記
23/03/05
忙しくてずっと放ったらかしにしている
「気まぐれ日記」に突然書いてみます。
感動したので。
野球の話です。
キャッチャーの「フレーミング」って
言葉が気になったので
なんだろうと思い調べてみると
キャッチャーの捕球技術のひとつ。
フレーミングとは
「ピッチャーが投げた球を
キャッチャーが捕った時に
ミット捌きで
ボールをストライクである
かのように見せる技術」
と誤解している方がいると。
つまり、
ストライクゾーンを外れた球を
捕った後にミットで
内側(ストライクゾーン)に
瞬間的に移動させるということ。
これは正しいフレーミングではない。
野球は紳士のスポーツであり、
そのような行為は
審判を「騙す」という
侮辱行為なんだそうです。
審判も人間ですから、
そんなことをされると
今度は大事な時に逆に
ストライクを
ボールと判定されることも
あるのだとか。
スポーツは選手と審判との
信頼関係によって成り立つ。
キャッチャーにとって
大事なことは
捕球後は決してミットを動かさない。
これがフレーミング。
そうすることで審判は
キャッチャーの人間性を信じ、
誠実に判定を下す。
フレーミングとは
「ボールをストライクと
言わせる技術」ではなく、
「ストライクをボールと
言わせない技術」
なんですって。
これって全ての生き方に
通じる話だと思いませんか。
瞬間的に人を欺いても
結局良いことはない。
フラフラ小細工せずに
正々堂々と
物事を
バシッと受け止めようでは
ありませんか。
でないと、
本当に大事な時に
世間から正しいジャッジを
してもらえませんよ。
20/12/31
【2020年の思い出C】
@からBはFacebookとTwitterに掲載したのでその続き。
コロナで仕事が無くなった不安な心と向き合おうと、3月頃に『お寺でじぃーん』のバックナンバー第1回から第48回までを全て再編集して再アップ。
とにかく一日中編集。まさに修行のようでした。
その際にこれまでの寸法から「短く」していたことにお気づきでしょうか。
これまでは「13分15秒」でした。実はこれは「テレビ用」の寸法としての名残り。
最初の第8回まではテレビで放送しました。
それ以降はネット配信に切り替えました。
ただ、もうテレビ放送することはないので、この寸法にこだわる必要はないなと。
そこで現在は「10分17秒」にしています
(サムネイル表示上は10分18秒になっていますが本編は10分17秒で表示されます)。
この数字の意味に気づいたあなたは素晴らしいです。
私の娘の誕生日が「10月17日」なのです。
この『お寺でじぃーん』は私のライフワークであり、娘への遺言でもあります。
もしも私が早く死んでも、大きくなった娘にこれを観て欲しい。
そして生きる指針にして欲しいという思いも込めました。
そんな思いも詰まった『お寺でじぃーん』は素晴らしい出会いの数々ですが、なんと言っても「中島健吾くん」との「魂の再会」は人生を変える経験でした(詳しくはyoutube ライブ『土曜の夜のひとりごつ』をご参照ください)。
「霊魂」(としか思えないもの)がこれまで3回写ったことで、私の人生観が変わったのです。
「人は死んでも魂でつながることができる」
という確信は、少なくとも自分の死をこれまでよりも肯定的に受け入れることができるようになりました。
これは『お寺でじぃーん』の中でもいろんなお坊さんが触れていることですが、「生と死はそこで線引きされるものではない、変化の一形態なのだということを知ること」なのです。
でも愛する人と物理的に別れることはやはり悲しいですよね。
私はそのことを、娘の誕生によって深く知ることができました。
だから仏教の大事な教え「今を生きる」という思いにつながるのだと思います。
これは2020年の思い出Aの「子育てトーク」にも反映されていますね。
この思いは仕事に対しても良い影響を与えました。
特に私はコンサートで演奏や司会を舞台上でおこないます。
お客さんとの「もう二度と再現できない瞬間」をあたらめて大切にしようと思いましたし「このステージが自分にとって最後になるかもしれない」という覚悟を持とうと。
収入は確かに激減しました。
でも、私は自分が思っている以上に「豊かな心」を手に入れました。
2021年もコロナとは付き合っていかねばならないでしょう。
コロナが教えてくれたこと。
「人は触れ合うことがやはり大事だったんだね」
「感染者を気遣う心を忘れていないかい?」
「人間は全てのものと共存することを考えないといけないよ」
今年は人類の「心の変革(原点回帰)」の年だったと思います。
それを確信させてくれた、出会った沢山のご縁に心から感謝。
良いお年を。
20/06/17
あと1日で50歳なので
現在の心境を書きます。
3日前からカウントダウン日記を書きましたが、書いたら分かるね、40代の10年間あっという間だったなと。
30代もあっという間だったけど、40代はさらに一瞬でした。
ということは来たる50代はどうなるんだよ、ワクワク。
昔は「人生50年」と言いましたね。
ということは昔的には私はもう人生を終えることになるわけです。
娘を抱く時に、よく思うんです。
「ああ、これが最後かも知れないな」って。
こんな想像をすることがあります。
「例えば、今が戦時中で、私が明日は特攻隊員として出撃しなければならないとして、最後の夜にもう一度だけ娘を抱くチャンスを頂いた、としたら」と。
そう考えただけで涙が出てきます。
そして娘がどんなにぐずっても愛おしくて仕方ないんです。
歴史を振り返ると、あるいは現在でも、世界のどこかで、そんな境遇の人がいるはずです。
「これが我が子との最後の夜だ」と。
世の中は時に残酷で不条理で、そんな中で人生はいずれ終わる。
大切な人達との別れは必ず来る。
悔しくても悲しくても、どんなに怒っても泣いてもそれは変わらない。
そんな中で私は50年生きることができた。もうこれはこれで充分幸せじゃないか。
いろいろあるけど、やっぱり私は幸せなんだなと思う。
40歳になった時に、こう思ったんです。
「平均寿命80年として、もう折返し地点なので世の中に恩返しを始めよう」と。
で、この10年。
どうだったんだろうね。
例えば日本中に世界中に広がるような大きな貢献はできていないのですが、こんな言葉があります。
「一隅を照らす」
私は全てを照らすことはできないけど、私の周りを少し照らすことができます。
ひとりひとりがその気持ちを持てば、結果的に世の中全部が明るくなるわけですね。
逆にいうと、そうなるためには、私は「私の持ち場」をしっかり照らさないといけない。
せっかく「私の人生」というポジション(命)をいただいたのですから、私の周りは明るく照らして、私の周りの人達がハッピーな気持ちになってほしい。
そうだよね。それだよね。
では、そのために出来ることは何か。
コロナは、それを考える時間をくれたと思う。
さてと、明日は50歳か。
20/06/16
あと2日で50歳なので
40代でお世話になった主な企業について順にご紹介させていただきますが、あらためて書いてみると本当に素晴らしい出会いの連続でした。
岩崎本舗・太田東西薬局・琴海堂・ブリヂストン・ディーエスブランド・日進グループ・ガーディアン72
【岩崎本舗】
ここの「ながさき角煮まんじゅう」といえば全国的にも有名ですが、私の楽曲『ふるさと』をCMで採用。30代から含めて8年間お世話になりました。
39歳、私が長崎に戻ってきた時に最初に幼保コンサートを企画した際、園児に角煮まんじゅうをプレゼントという支援をしてくださいました。
しかも「いっちゃんが商品を宣伝してくれるのだから」ということで別途宣伝料という形でも支援してくださったのです。
【太田東西薬局】
東洋薬学を真摯に研究しているとても情熱的な薬局。
私の楽曲『あなたがそばにいるだけで』をCD化してイメージソングに採用。
私の『お寺でじぃーん』の活動にも賛同しご支援くださっています。
【琴海堂】
ここの「琴海の心」という最高級カステラも有名ですが、私の楽曲『こころここに』をCMで採用。現在でもケーブルテレビでCMが流れています。
私がお寺コンサートを企画した時に、商品をお客様にプレゼントという支援をしてくださいました。
現在でも『お寺でじぃーん』でお寺にお供えするために「琴海の心」を購入する際には半額提供で支援してくださっています。
【ブリヂストン】
言わずと知れた超一流企業。
コンサートツアーの司会者としてご一緒した次の年からは年間契約を結んでくださいました。
音楽監督の冨田先生はじめ、団員・社員の皆さんの立ち居振る舞いや音楽への真摯な姿勢は私自身とても影響を受けています。
【ディーエスブランド】
ここの「おりこうブログ」は全国累計1万7千社を超える企業が採用しています。『いっちゃんのお寺でじぃーん』のサイトも「おりこうブログ」です。
私の楽曲『この港から』をCMに採用。現在でも長崎のテレビで放送中です。5年前から「いっちゃん楽しいコンサート」を全面支援してくださっています。
今年度は30公演開催予定なのですがコロナの影響で残念ながら現時点で2公演ほどキャンセルが出てしまいました。しかし、キャンセルが出ても支援しますと言ってくださったのです。
新しいCMのオファーもしてくださり先日ウェブで公開、今後はテレビでも放映される予定です。
【日進グループ】
島原で総合生活産業をしっかり構築されている企業です。特に「ホテルシーサイド島原」は全国で表彰される程の優良企業。
こちらのCMプロデュースをおこない、私の楽曲『威風堂々』をCMに採用。2年前に『お寺でじぃーん』をテレビ放送した際には単独でスポンサーになってくださいました。
現在こちらのアドバイザーをしており、島原に行った時にはいつも素晴らしいご対応をしていただきます。
【ガーディアン72】
島原出身の有馬朱美さんが主催する災害支援プロジェクト。現在東京を拠点に全国展開していますが、そのイベントで毎年、私を司会者・演奏者としてご指名くださっています。
本当に私は恵まれています。こんな素晴らしい皆さんとのご縁、幸せいっぱいです。
他にも沢山の方々の応援をいただいています。本当にありがとうございます。
だからこそ、これに恥じない活動、生き方をしたいと思うのです。
そう思わせてくれるのは、皆さんのおかげなのです。
20/06/15
あと3日で50歳なので
備忘録として簡単に40代を振り返ります。
「教育・文化・福祉」
これは私が20代の頃から
ぼんやりとしながらも確かに
頭に描いていた三要素です。
社会はこの三要素を満たすことがまず重要。
言い換えると「経済より先に大切なもの」だと
今でも認識しています。
つまり、まずは「人」である。
経済も人が動かすのだから
「教育・文化・福祉」が充実した社会で
豊かな心を育んだ人こそが
豊かな経済活動をおこなえるのです。
特に40代はこの三要素を基準にして
意識して仕事をしてきたと思います。
32歳の時に
長崎での仕事を全てリセットして上京。
いろんな体験や勉強を経て
東京から長崎に戻ったのが39歳。
一からまた長崎で創っていこう。
そうやって始めた40代の活動は
主なものでこんな感じ。
●「ソロコンサート活動」
独りで営業活動から行い
幼稚園・保育園・小学校・高齢者施設・お寺など
現在まで500公演を超えています。
●「池上彰講演会」
東京にいる時に知り合った池上さんの
長崎講演会を2回プロデュースしました。
当日は司会と対談もおこないました。
収益は全て寄付しました。
●番組『長崎ぶらぶら好き』
長崎ケーブルメディアという局で制作。
長崎の裏道小道をぶらぶらしながら歴史を再発見
というコンセプトで企画・出演・編集。
5年間で長崎市内をめぐり
同局始まって以来の大きな反響を得ました。
旅チャンネルという全国ネットでも連載され
話題になりました。
●番組『いっちゃんの男洒落料理』
これも長崎ケーブルメディア。
男洒落料理=マンジャーレクッキング
と読みます。これも私の企画・出演です。
イタリア語の「食べる」という言葉
マンジャーレを男洒落と変換して
「男なら洒落た料理をつくるべし」
簡単・お洒落・ヘルシーな料理をつくります。
料理工程を2回見せるという
これまでにない手法で話題になりました。
3年間程やっていたと思います。
これも他県でも放送され話題になりました。
●番組『Let’s SHOW学校』
これも長崎ケーブルメディア。
校長先生同士のリレー紹介方式で
地域の小学校を紹介する内容ですが
学内の子どもたちの頑張る笑顔だけでなく
「頑張っている教師の皆さんを応援したい」
という思いで企画・撮影・編集。
他のディレクターに引き継ぎ
現在も続いています。
●コンサート司会
「音楽を知らない人にもわかりやすく楽しく」
という思いで言葉を紡いできました。
40代になって一気にご縁が広がりました。
特に吹奏楽コンサートの司会では
ブリヂストン吹奏楽団久留米など
全国的に一流の楽団と毎年ご一緒しています。
●番組『いっちゃんのお寺でじぃーん』
自身初のウェブ番組を立ち上げました。
これはyoutubeにリンクしていますが
非営利設定にしています。
108人のお坊さんに話を聴いて
仏教の魅力を再発見し笑顔で悟りを目指そう
という企画・出演・編集。
もうすぐ半分の54人目をアップします。
これら全て
「教育・文化・福祉」のコンセプトに
マッチしています。
その中で多忙になるにつれて
取捨選択が必要になりましたので
ケーブルテレビの番組は全て手放し
現在の活動は
「ソロコンサート」
「コンサート司会」
『いっちゃんのお寺でじぃーん』
という三つに集約しています。
さて、あと3日で50歳です。
これをどのように発展させていくか。
ワクワクしています。
20/04/02
午前3時過ぎ。
娘の泣き声で目が覚めた私は
授乳で疲れた妻の代わりに
お守りをすることにしました。
妻の睡眠を妨げないように
娘を抱きかかえて暗いリビングに移動。
トントンしながら体を揺らして
娘の顔を眺めていました。
ぐずる娘はなかなか寝付かず
私の寝衣を握りしめこちらを見つめる。
「独りにしないで」
そんな目で見つめるのです。
その時ふと「お不動様」の話を思い出しました。
(第20回『不動』)
「昨日を悔いる事なかれ
明日を思い患う事なかれ
本日只今 只今が大事」
(第37回『だんだん』)
私もいつコロナに感染するか分からない。
重症化したら
もう二度と娘を抱くこともできないかもしれない。
あるいは
私のせいで娘を殺してしまうかもしれない。
どうなるかわからないからこそ。
(第10回『わからない』)
コロナと私との間に起こった縁。
これをどう受け止めるか。
悩むのか苦しむのか、それとも…。
(第26回『間』)
などなど、
次々とお坊さんの声が聴こえてきたのです。
この1か月の間
仕事が次々とキャンセルや延期になりました。
この空いた時間で何かできないか。
そこで『いっちゃんのお寺でじぃーん』の
バックナンバー48話を全て見直し
膨大な時間を注ぎ込んで再編集。
そして再度アップしました。
再編集によってあらためて触れた
お坊さん達の話を思い返しながら
娘の顔を見つめていると
気がつけば、私自身が笑顔になっていたのです。
これが「悟り」か。
私はひとつの確信を得ました。
やはり私の選択は正しかった。
これをライフワークと位置付けて
間違っていなかった、と。
このまま108話まで行ったら
どんな境地が待っているのだろう。
私は娘を強く抱きしめ体を揺らしていると
娘はいつの間にか眠っていました。
『いっちゃんのお寺でじぃーん』
このコンテンツは、全て私財を投じています。
それぞれのお寺にお参りに行く時のお供えもの。
お坊さんの法話(法施)へのお礼(財施)。
ウェブサイト「otera-de.com」運営費。
そして編集にかける膨大な時間など。
これをネットに上げることで
誰かが観て、誰かが救われたら素敵じゃないか。
そんな思いで続けています。
私と一緒に108人のお坊さんの話
聴いてみませんか?
108人の話を聴き終わった時に
どんな景色が待っているか
一緒に見てみませんか?
そして
もしもこの思いに賛同してくださり
応援してくださる方がいらっしゃったら
ご支援をいただけないでしょうか。
ご寄付いただけるならありがたいです。
そしてせっかくでしたら
私のCDを購入という形も嬉しいです。
(これまでこういうことは
自分では言ったことないのですが)
多くの方々がおっしゃるには
私の歌声やオーボエには
どうやら癒しの効果があるらしい。
今の時期だからこそ
この番組も、私の音楽も
お聴き頂ければと願います。
お友達にご紹介してくださるだけでも
とても嬉しいです。
もちろんご無理は申しません。
www.1chan.com/disco/
私はこれからも
『お寺でじぃーん』と「私の音楽」に
しっかりと心を据えて
笑顔で生きていこうと思います。
今日も無事であることに感謝。
そして
最後までお読みくださったあなたに
心からありがとうございます。
18/09/14
『びわソフトの秘話(ひわ)』
SNSの写真に写っている方は
橋本茂子さん。元小学校教諭です。
橋本先生とのご縁の説明は長くなりますが書きますね。
そもそもの出会いは6年ぐらい前。
長崎ケーブルメディアで、
私が企画し立ち上げた番組
『Let’s SHOW学校』
地域の小学校を校長先生の横のつながりで
リレー形式で紹介していこうというもの。
最初の数年は私自身が撮影と編集をしていました。
(今は、別のディレクターに譲っています。
現在でも継続、放送中の番組です)
で、私が撮影と編集をしている頃のお話。
ある小学校の校長が、次の学校を紹介する時
「今年度で廃校になる学校があるから
ぜひ行って欲しい」
と言われたのが松島小学校。
長崎には松島という島があり、
橋もないのでフェリーで移動。
10分程度の船旅で到着するような島で、
そこにある小さな小学校でした。
最後の年の児童数は10人ぐらいだったかな。
とっても良い子達で私を大歓迎してくれました。
その最後の校長先生が、橋本茂子先生だったのです。
撮影も無事に終わり
私も少し名残惜しい感じで現場をあとにしました。
その後もいろんな小学校を取材するのですが、
やはり「今年度で廃校」というのが気になって。
その年の年度末に近い
たぶん1月ぐらいだったか、
松島小の橋本先生に電話しまして
「せっかくのご縁なので
閉校式で記念にコンサートをさせていただけませんか。
もちろんボランティアで結構です」
橋本先生は感激してくださったのですが
でもその時にはすでに催しが全て決まっていて
どうしてもそのタイミングが無いと。
もちろんそれはそれで、よかったのですが
橋本先生はそのことを気にかけていらっしゃった。
橋本先生はその後「日宇小学校」の校長に。
そこで、予算をつくって私のコンサートを
企画してくださったのです。
そして、そのコンサートに感動してくださり
その後に赴任された「音琴小学校」でも
コンサートを企画してくださいました。
それから定年退職後も
時々お手紙をいただくようになり。
今年の春にいただいたお手紙に
「私はかねてから念願の接客業に
挑戦することになりました」と。
それが長崎自動車道(上り)の
「大村湾PA」の売店の店員。
現在の職場です。
早速、仕事の途中に寄ってみると
そこで生き生きと働く橋本先生の姿が。
「慣れましたか?」と尋ねると
「びわソフトを上手に作れない」と。
コーンの上にソフトクリームを
にょろにょろと「とぐろ巻き」にして
乗せていく、あれです。
「では私が購入するので
実験台につかってください。
経験値を上げれば上手になれますよ」
350円を支払って作ってもらいました。
コーンから今にも落ちそうな
現代アート作品ができあがり。
「ご、ごめんなさい。
練習して上手くなったらまた連絡します」
周りの店員さんも一緒に笑いました。
それから半年。
「やっと何とかできるようになりました」
というご連絡を先日いただいて、
そして今日、
鹿児島に移動する途中に大村湾PAに寄り、
ようやくその成果を
見せていただく機会がやってきました。
ということで、
できたのがこの写真という。
長い長い説明でした。
つまり、この写真から
伝えたいことは
「人生いつでも好奇心と挑戦が大切」
ということを
橋本先生の「びわソフト」から
学んだということです。
ちょっと照れながら
そして笑顔で渡してくれた
「びわソフト」。
とっても美味しかったです。
皆さんも、橋本先生を見かけたら
ぜひ「びわソフト」を
注文してみてくださいね。
「いっちゃんから聞きました」
と言えば、
一巻き多めにしてくれるかもよ。
ちなみに、タイトルですが、
長崎では大きさや形によって
「びわ」「ひわ」と言うらしいです。
以上
『びわソフトの秘話(ひわ)』
でした。
18/01/02
皆さん
明けましておめでとうございます。
今年は戌年・年男。
48歳になる年です。
50代が見えてきた。
なんかすごい、ワクワク。
ということで2018年の抱負。
これからの人生の歩き方、
少しずつですが
整理していこうと思っています。
あれもこれもという訳には
いきませんから。
本当にやりたいことや
本当にやるべきことを
選んでシンプルにしていこう。
決して力まずに
自然体で輝ける一年に。
今年もよろしくお願い致します。
17/08/16
気まぐれにも程がある。
私の日記のことです。
「気まぐれ日記」と題したこのコーナーに
7か月半ぶりに投稿。
どんだけマイペース。
いやSNSには毎日投稿しますけどね。
ありがたいことに毎年忙しさが増し
その都度、自分の未熟さを知り
何とか、もがいています。
「もがく」は「踠く」と書くらしい。
これだとあまりピンと来ないけれど
「藻掻く」という当て字は見事です。
海に溺れた人が藻でも何でも掻いて
必死に浮かぼう、生きようとする姿が
想像できますね。
さて、そう考えると
私は果たして藻掻いているのかと。
「藻掻く」に失礼な気がして
私の現状にはまだまだ使えない言葉だな。
何かに「溺れる」ぐらい夢中になってこそ
「藻掻く」という言葉が生きてくる。
私はまだ溺れるために、その「海」に
「飛び込んでもいない」のかも知れません。
「海」は「産み・生み」。
まだまだいくらでも生まれ変われるはずさ。
17/01/03
皆様明けましておめでとうございます。
2017年が始まっていますね。
世界を見渡すと急速に
インターナショナリズムとは逆の
ナショナリズムが進んでいます。
私は音楽や言葉を仕事にしていますが
「音楽には国境はない」と言われる一方
「言葉の壁」とも言われますね。
それぞれが「境(ボーダー)」について
再び考える時代なのだと思います。
「自分と他人」という最小単位から始まり
どこまで認めるか、どこから認めないのか。
インターネットというネット(網)も
横に広げるか縦に仕切るか、によって
情報は変化するのです。
つまりは、これからますます
「個人」が試される時代。
どこかで線を引くという決断を
自信を持ってできるかどうか
ということです。
2017年はそんな年にします。
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