気まぐれ日記

24/04/07
水原一平の疑惑のひとつに
学歴詐称というのがあり
その括りで
ネットで思い出され
再注目されている人物が

ショーンK

端正な顔立ちと
流暢な英語と
低い落ち着いた声と
綺麗なコメント

当時は私も
テレビを観ながら
好感を持っていた

そんな彼が実は
学歴が全くの嘘で
その結果
全ての番組を降ろされ
メディアから姿を消した

中学高校時代は
いつもホラを吹いていたので
あだなが

ほらっちょ

だったというのは
もはや笑えるエピソード

そんな彼が再注目され
動画サイトなどで
彼の活躍当時の様子が
観られるのですが
顔といい声といい
英語力も含めて
実際素晴らしいです

彼は嘘をついたけれども
おそらくそれを隠すため
相当な努力もしてきたはず。

でも世間で目立つためには
実力だけではどうにもならず
自分をよく見せたい

学歴という高級羽織が欲しくて
ブランドのコピー商品を
身につけていたような
そんな感じかも知れません

肩書きが外れた時にこそ
その人の本当の評価がわかる

これもまあ
一つの真理でしょうけど


私の学歴ですが
最終学歴が

慶應義塾大学大学院
修士課程修了

となっています

実はちょっと学歴詐称です

本当は、その上の
博士課程まで進んだのですが
それを中退しました。

ですから正確には

慶應義塾大学大学院
博士課程中退

が最終学歴です

まあでも世間的には
全く批判されないでしょう

上を切っただけですから

しかも私は
学歴とは全く関係ない形で
この仕事を続けていますから

そこが私の
魅力ですぜ




24/04/02
あっという間に新年度。

歳を重ねる度に
時間が速く感じるのは
脳内のデータが
圧縮されていくからだと
ずっと前から
思っていましたが
どうなんでしょう。

毎年123月は
次年度の準備などで
結構カリカリイライラと
するのですが
今年はあまりしませんでした。

これも歳を重ねたせい
なのかもしれません。

私みたいに
フリーランスで仕事をしている
人間にとっては
スケジュールが埋まらないと
不安になるものです。

サラリーマンと違って
何の保証もないですから
本番がない=お金が入らない
という直結型ですものね。

そんな中でも私は
とても恵まれた人生で
それもこれも

「ご縁」

に助けられてきたと
その一言に尽きます。

ひとつひとつの出会いを
私なりのペースで
大切にしてきた結果だと。

決してマメではないので
それほど人に時間を割くことも
ないのですが。

例えば、筆マメでもないし。

でも、その時の
「出会いの感覚」を
とても大事にしています。

それは「人の選び方」
という話になるかな。

「この人は自分にとって
利益のありそうな人だ」

という選択眼で接する人は
見れば分かるので
(分かるようになったので)
まずそういう人とは
深くは関わりません。

ですから当然
私自身もそういう視点で
人を選び
接することはないです。

損得で人は選ばない。

結局はですね
そういうところで
人は信頼を失ったり
信頼を得たりするんです。

そんな生き方が
今の私の幸せに
繋がっているのだと思います。

感謝、感謝。

24/03/08
先日からのお話を少しずつ。

16年間お世話になった福工大の司会を
自ら卒業しました。

吹奏楽団の卒業生A君。
彼は在学中に私の司会を見て
私に憧れてくれて、数年前に卒業後
現在、フリーのMCとして
頑張っています。

彼の司会をまだ見たことはないですが
私と同じ3ピースのスーツを着て
原稿も見ないスタイル、
私の真似をしているらしいです。

可愛いですね。

そして、今回卒業する
4年生のB君。

彼は鹿児島情報高校在学中に
そこで司会をしている私を見て
その時から憧れてくれたらしく
その後、私が司会をしている
福工大に入学しました。

この春卒業後に上京し
プロのMCを目指すそうです。

可愛いですね。

そんな2人がプロとして
頑張ろうというのですから
私として応援できる形のひとつ
として司会の席を譲りました。

今後はどちらか順番に
あるいは2人でやっても
面白いかもしれませんね。


私の司会のスタイルは
全国どこを見ても無いらしく
いろんなプロの演奏家たちも
私の司会に感動してくれます。

つまり私は
パイオニアとしての自信を
もっています。

そして
私が作った道を
歩きたいと思ってくれた
若者達が出てきたのです。

こんなに嬉しいことはない。

いずれは彼らには
私を超えてもらわねばなりません。

でないと発展しないからです。

そのためには同時に
私自身も彼らに簡単に
超えられないようにしないと
いけないのです。

でないと発展しないからです。

吹奏楽やクラシックの
コンサートのお客様が
もっと増えていくために
できること。

それは演奏だけでなく
演奏会MCにも
その役割があるのです。

それを私は
ずっと独りで
ポリシーをもって
やってきました。

これまで私は
オンリーワンでした。

しかしこれからは
ナンバーワンとして
輝かなければなりません。

日本一の演奏会MC

最近そのように
言われます。

ありがたいです。
うれしいです。

だからこそ
日本の音楽芸術の
発展のために
がんばりますよ。

応援よろしくお願いいたします。


24/02/03
先日母の誕生日でした。

私自身も親になって
親ってなんだろうと
いろいろと思うところあり

例えば
加害者の親
被害者の親
という立場になった時
親として何を思うか

状況にもよるし
言葉にするのは
とても難しいのですが

例えば
子どもが加害者だったとしても
親がその子を愛してあげたい
と思うことを
許してあげたいと思うのです

加害者のことは許せなくても
加害者の親が
自分の子を愛することを
許してあげること

どんな時でも
親はいつでも子を愛している
そんな親でいたいと思うし
そんな親ばかりだったら
そもそも起こらなかった犯罪は
とても多いのではないかと

つまり
親だけは
どんなことがあっても
その子を肯定してあげる存在
であり続ける覚悟をもつ

これが
親ということかな

そこにあるのは
世の中が定義した
正義や倫理を超えた愛

私は母から
もちろん父からも
そんな愛を
ずっともらっているなと

この年になって
自身が親になって
やっと気づいたかな

これからも元気で
長生きしてほしい


24/01/25
昨日に続き日記更新
(珍しい)

大変遅くなりましたが
今年の目標は
「龍道(じゃどう)」
にしています

長崎の祭り「くんち」で
龍踊(じゃおどり)
というように
龍(じゃ)と読みます

特殊ですね

私が生業にしている
司会や音楽など
いずれも
専門教育を受けず
独学で今に至ります

専門家からすると
「邪道」でしょうね

でも、それが私

自分で試行錯誤して
いろんなご縁に恵まれ
評価していただき
今に至るのです

ありがたい限りです

「邪道でも龍道になれる」

そう信じて堂々と
笑顔で生きていきます


24/01/24
ここ1年ぐらいかな。
SNSの更新も
少し遠慮がちでした。

例えば演奏会司会などは
全く写真をアップせず。

これには
いろいろとそれなりに
理由がありますが
まあそれはさておき

今年からまた少しずつ
アップしようかなと。

この気まぐれ日記も
こっそり少しずつ
更新頻度を上げていこう

これをひとつの
今年の目標にします

っていうか
もう1月も終わり
ですけどね。

23/03/05
忙しくてずっと放ったらかしにしている
「気まぐれ日記」に突然書いてみます。

感動したので。

野球の話です。

キャッチャーの「フレーミング」って
言葉が気になったので
なんだろうと思い調べてみると
キャッチャーの捕球技術のひとつ。

フレーミングとは
「ピッチャーが投げた球を
キャッチャーが捕った時に
ミット捌きで
ボールをストライクである
かのように見せる技術」
と誤解している方がいると。

つまり、
ストライクゾーンを外れた球を
捕った後にミットで
内側(ストライクゾーン)に
瞬間的に移動させるということ。

これは正しいフレーミングではない。

野球は紳士のスポーツであり、
そのような行為は
審判を「騙す」という
侮辱行為なんだそうです。

審判も人間ですから、
そんなことをされると
今度は大事な時に逆に
ストライクを
ボールと判定されることも
あるのだとか。

スポーツは選手と審判との
信頼関係によって成り立つ。

キャッチャーにとって
大事なことは
捕球後は決してミットを動かさない。
これがフレーミング。

そうすることで審判は
キャッチャーの人間性を信じ、
誠実に判定を下す。

フレーミングとは
「ボールをストライクと
言わせる技術」ではなく、
「ストライクをボールと
言わせない技術」
なんですって。

これって全ての生き方に
通じる話だと思いませんか。

瞬間的に人を欺いても
結局良いことはない。

フラフラ小細工せずに
正々堂々と
物事を
バシッと受け止めようでは
ありませんか。

でないと、
本当に大事な時に
世間から正しいジャッジを
してもらえませんよ。


20/12/31
【2020年の思い出C】
@からBはFacebookとTwitterに掲載したのでその続き。

コロナで仕事が無くなった不安な心と向き合おうと、3月頃に『お寺でじぃーん』のバックナンバー第1回から第48回までを全て再編集して再アップ。
とにかく一日中編集。まさに修行のようでした。

その際にこれまでの寸法から「短く」していたことにお気づきでしょうか。

これまでは「13分15秒」でした。実はこれは「テレビ用」の寸法としての名残り。
最初の第8回まではテレビで放送しました。
それ以降はネット配信に切り替えました。
ただ、もうテレビ放送することはないので、この寸法にこだわる必要はないなと。

そこで現在は「10分17秒」にしています
(サムネイル表示上は10分18秒になっていますが本編は10分17秒で表示されます)。

この数字の意味に気づいたあなたは素晴らしいです。

私の娘の誕生日が「10月17日」なのです。
この『お寺でじぃーん』は私のライフワークであり、娘への遺言でもあります。
もしも私が早く死んでも、大きくなった娘にこれを観て欲しい。
そして生きる指針にして欲しいという思いも込めました。

そんな思いも詰まった『お寺でじぃーん』は素晴らしい出会いの数々ですが、なんと言っても「中島健吾くん」との「魂の再会」は人生を変える経験でした(詳しくはyoutube ライブ『土曜の夜のひとりごつ』をご参照ください)。
「霊魂」(としか思えないもの)がこれまで3回写ったことで、私の人生観が変わったのです。

「人は死んでも魂でつながることができる」

という確信は、少なくとも自分の死をこれまでよりも肯定的に受け入れることができるようになりました。
これは『お寺でじぃーん』の中でもいろんなお坊さんが触れていることですが、「生と死はそこで線引きされるものではない、変化の一形態なのだということを知ること」なのです。

でも愛する人と物理的に別れることはやはり悲しいですよね。
私はそのことを、娘の誕生によって深く知ることができました。
だから仏教の大事な教え「今を生きる」という思いにつながるのだと思います。
これは2020年の思い出Aの「子育てトーク」にも反映されていますね。

この思いは仕事に対しても良い影響を与えました。
特に私はコンサートで演奏や司会を舞台上でおこないます。
お客さんとの「もう二度と再現できない瞬間」をあたらめて大切にしようと思いましたし「このステージが自分にとって最後になるかもしれない」という覚悟を持とうと。



収入は確かに激減しました。

でも、私は自分が思っている以上に「豊かな心」を手に入れました。

2021年もコロナとは付き合っていかねばならないでしょう。
コロナが教えてくれたこと。

「人は触れ合うことがやはり大事だったんだね」

「感染者を気遣う心を忘れていないかい?」

「人間は全てのものと共存することを考えないといけないよ」

今年は人類の「心の変革(原点回帰)」の年だったと思います。
それを確信させてくれた、出会った沢山のご縁に心から感謝。

良いお年を。



20/06/17
あと1日で50歳なので
現在の心境を書きます。

3日前からカウントダウン日記を書きましたが、書いたら分かるね、40代の10年間あっという間だったなと。
30代もあっという間だったけど、40代はさらに一瞬でした。
ということは来たる50代はどうなるんだよ、ワクワク。

昔は「人生50年」と言いましたね。

ということは昔的には私はもう人生を終えることになるわけです。

娘を抱く時に、よく思うんです。
「ああ、これが最後かも知れないな」って。

こんな想像をすることがあります。
「例えば、今が戦時中で、私が明日は特攻隊員として出撃しなければならないとして、最後の夜にもう一度だけ娘を抱くチャンスを頂いた、としたら」と。

そう考えただけで涙が出てきます。
そして娘がどんなにぐずっても愛おしくて仕方ないんです。

歴史を振り返ると、あるいは現在でも、世界のどこかで、そんな境遇の人がいるはずです。
「これが我が子との最後の夜だ」と。

世の中は時に残酷で不条理で、そんな中で人生はいずれ終わる。
大切な人達との別れは必ず来る。
悔しくても悲しくても、どんなに怒っても泣いてもそれは変わらない。

そんな中で私は50年生きることができた。もうこれはこれで充分幸せじゃないか。
いろいろあるけど、やっぱり私は幸せなんだなと思う。

40歳になった時に、こう思ったんです。
「平均寿命80年として、もう折返し地点なので世の中に恩返しを始めよう」と。

で、この10年。
どうだったんだろうね。

例えば日本中に世界中に広がるような大きな貢献はできていないのですが、こんな言葉があります。

「一隅を照らす」

私は全てを照らすことはできないけど、私の周りを少し照らすことができます。
ひとりひとりがその気持ちを持てば、結果的に世の中全部が明るくなるわけですね。

逆にいうと、そうなるためには、私は「私の持ち場」をしっかり照らさないといけない。
せっかく「私の人生」というポジション(命)をいただいたのですから、私の周りは明るく照らして、私の周りの人達がハッピーな気持ちになってほしい。

そうだよね。それだよね。

では、そのために出来ることは何か。
コロナは、それを考える時間をくれたと思う。

さてと、明日は50歳か。

20/06/16
あと2日で50歳なので
40代でお世話になった主な企業について順にご紹介させていただきますが、あらためて書いてみると本当に素晴らしい出会いの連続でした。

岩崎本舗・太田東西薬局・琴海堂・ブリヂストン・ディーエスブランド・日進グループ・ガーディアン72


【岩崎本舗】
ここの「ながさき角煮まんじゅう」といえば全国的にも有名ですが、私の楽曲『ふるさと』をCMで採用。30代から含めて8年間お世話になりました。
39歳、私が長崎に戻ってきた時に最初に幼保コンサートを企画した際、園児に角煮まんじゅうをプレゼントという支援をしてくださいました。
しかも「いっちゃんが商品を宣伝してくれるのだから」ということで別途宣伝料という形でも支援してくださったのです。


【太田東西薬局】
東洋薬学を真摯に研究しているとても情熱的な薬局。
私の楽曲『あなたがそばにいるだけで』をCD化してイメージソングに採用。
私の『お寺でじぃーん』の活動にも賛同しご支援くださっています。



【琴海堂】
ここの「琴海の心」という最高級カステラも有名ですが、私の楽曲『こころここに』をCMで採用。現在でもケーブルテレビでCMが流れています。
私がお寺コンサートを企画した時に、商品をお客様にプレゼントという支援をしてくださいました。
現在でも『お寺でじぃーん』でお寺にお供えするために「琴海の心」を購入する際には半額提供で支援してくださっています。


【ブリヂストン】
言わずと知れた超一流企業。
コンサートツアーの司会者としてご一緒した次の年からは年間契約を結んでくださいました。
音楽監督の冨田先生はじめ、団員・社員の皆さんの立ち居振る舞いや音楽への真摯な姿勢は私自身とても影響を受けています。


【ディーエスブランド】
ここの「おりこうブログ」は全国累計1万7千社を超える企業が採用しています。『いっちゃんのお寺でじぃーん』のサイトも「おりこうブログ」です。
私の楽曲『この港から』をCMに採用。現在でも長崎のテレビで放送中です。5年前から「いっちゃん楽しいコンサート」を全面支援してくださっています。
今年度は30公演開催予定なのですがコロナの影響で残念ながら現時点で2公演ほどキャンセルが出てしまいました。しかし、キャンセルが出ても支援しますと言ってくださったのです。
新しいCMのオファーもしてくださり先日ウェブで公開、今後はテレビでも放映される予定です。


【日進グループ】
島原で総合生活産業をしっかり構築されている企業です。特に「ホテルシーサイド島原」は全国で表彰される程の優良企業。
こちらのCMプロデュースをおこない、私の楽曲『威風堂々』をCMに採用。2年前に『お寺でじぃーん』をテレビ放送した際には単独でスポンサーになってくださいました。
現在こちらのアドバイザーをしており、島原に行った時にはいつも素晴らしいご対応をしていただきます。

【ガーディアン72】
島原出身の有馬朱美さんが主催する災害支援プロジェクト。現在東京を拠点に全国展開していますが、そのイベントで毎年、私を司会者・演奏者としてご指名くださっています。


本当に私は恵まれています。こんな素晴らしい皆さんとのご縁、幸せいっぱいです。
他にも沢山の方々の応援をいただいています。本当にありがとうございます。

だからこそ、これに恥じない活動、生き方をしたいと思うのです。
そう思わせてくれるのは、皆さんのおかげなのです。


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